モノローグ

寝た子を起こすな

私が高校生の時、祖父に「モジュラー・ステレオ」なるものを買ってもらいました。レコードプレーヤー、チューナー、アンプが一体になったプラスチックの筐体と、2個のフルレンジ・スピーカーから成る3点セットでした。

これが私とオーディオの出会いです。とはいえ、すぐにオーディオに目覚めた訳ではありません。当時仲間の間で流行っていたロックのレコードを、文字通り溝が擦り減るくらい聴いて体に沁み込ませていました。

当時の私にとって、このモジュラー・ステレオは「透明な存在」であり、それが再生する音楽に私はダイレクトに結びついていました。

ある日、友人が1枚のレコードを持参し、それを二人で聴いていたとき、突然友人が「このボーカルおかしいで。こんな高い声と違うで」とポツリとつぶやきました。「そうかなぁ?」と私は曖昧な返事をしましたが、その友人のつぶやきが頭から離れませんでした。

今思えば,この時の友人のつぶやきで私はオーディオに目覚めたのです。後日、私のレコードプレーヤーが世の中のプレーヤーよりも「速く回っている」ということを知ったときの落胆を今も覚えています。「今まで聴いてきた音楽は何だったんだ...」と。

その瞬間に私のモジュラーステレオは透明な存在ではなくなりました。

世の中には目覚めさせると厄介なものが沢山あります。異性への関心とか、生きる意味とか、再生音への関心もその一つかもしれません。

というわけで、再生音に目覚めてしまった私は、オーディオ誌を読み漁り、評論家ご推薦のオーディオシステムを購入しました。ところが、悲しいかな、再生音に目覚めた私は、もう音楽とダイレクトに結びつくことができなくなっていました。

「プレーヤーの回転数は正しいか?針圧は適正か?高音、中音、低音のバランスは?スピーカーの間隔は?...」と頭の中に?が増殖して音楽に集中できなくなってしまったのです。

つまり、私の頭の中には「客観性」という他者が埋め込まれていて、音と自分の間にこの他者が割り込み、音楽と私のダイレクトな結びつきを断ち切ったのでした。

私の再生音への目覚めは「客観性」という他者との葛藤の中から、再び音楽と私がダイレクトに結びつくための長い格闘の旅の出発点でした。

オーディオの世界に神様はいない

オーディオの世界には昔から「原音」という神様が棲みついていて、この神様がオーデイオ製品の評価の物差しになってくれている、という神話があります。この神様のお陰で、オーディオ産業に携わる者(メーカー、評論家、メディア)は食って行ける、という有難い神様です。

では、その神様は何処にいるのでしょう?ある評論家は、「マスターテープこそ原音だ(絶対的な物差しである)」と言いました。こんな評論家の言説を信じている人々には、私はこう訊ねたいです...「あなたは録音物を耳に当てて直に音楽を聴くことができるのですか?」と。

そんな芸当は誰にもできません。録音物を聴くためには再生装置が必要です。ですから、この評論家が聴いているのは「原音」ではなく、再生音の一つでしかありません。「原音」という神様は、誰にも聴くことのできないものとして録音物の中にあります。ですから、他の神様と同様に、「神は在る。しかし見たものは誰もいない」のです。

オーディオの世界に神様は降臨しません。科学的データは音楽性の物差しにはなりません。唯一物差しになるのは、「私を生きている生命」だ、と私は近年思うようになりました。

音楽は「音と生命の恋愛」

私たちは、「感性は、私という自我に備わっている」と思い込んでいないでしょうか?でも、自然や音楽を「美しい」と感じているのは、実は、私という自我ではなく、「私を生きている生命」かもしれません。

私を生きている生命は、私という自我に不断に抑圧されながらも、「不味いものは自我に食わせ、旨いものだけを食っている」ように思います。旨いものに出会うや否や、生命は自我を押し退けてその対象に絡みつくように思います。

それは恋愛に似ているかもしれません。美しいもの、奇怪なもの、不思議なものとの出会いは言葉になりません。それは、その対象と最初に出会っているのが自我ではなく(自我は押し退けられている)生命だからではないでしょうか?

自社製品のPR

私は、お客様の自我に気に入られるオーディオ製品を作りません。私やお客様の生命を喜ばせるものを作ります。これがオーデイオ・デザイナーとしての私の立ち位置です。無論、立っているだけでは製品は作れません。意思を具現化するためのコンセプトとメソッドが必要です。

コンセプトは、「エネルギー代謝速度の最大化」です。つまり、コンポーネント自身が発する振動エネルギーや電気エネルギー、あるいは、床や空気を介してコンポーネントが受け取る振動エネルギーの代謝速度(入力されたエネルギーが減衰する速度)を最大化するということです。

なぜ「エネルギー代謝速度」が重要なのかというと、私を生きる生命を覚醒させるためには、オーディオシステムのエネルギー代謝速度が十分に大きくなければならない、という個人的経験に拠ります。エネルギー代謝速度が小さいと、私の生命はまどろんでしまい、スピーカーから出る音の処理を自我に任せてしまいます。つまり、それは、私を生きる生命にとって「退屈で不味い」音なのです。

「常に空っぽの胃袋であること」、これが私にとっての理想のオーディオシステムです。いつも腹を空かせ、胃袋を空にして食べ物(音楽信号)を待ち受ける、そんなオーディオシステムが実現したらきっと再生音楽は激変するでしょう。

そのためのメソッドは、軽量化としなやかさです。軽量であればあるほど抱え込むエネルギー量は小さくなり、代謝速度は大きくなります。

「しなやかである」ということは、自分の体躯を動かすことでエネルギーを消費し、それによって代謝速度を大きくします。但し、共振を抑えることは必要です。共振は再生音に固有の響きを与え、音場の見通しを悪くします。

厄介なのは、共振を抑えるための質量や構造も音質に負の影響を及ぼすことです。ですが、ケーブル導体(芯線)の質量が小さく、弾性が小さければ、共振を抑えるための質量も小さく、構造もシンプルにすることができます。

煎じ詰めればこれだけのことしかやっていません。しかしながら、このコンセプトを極限まで追求しようとするとハンドメイドせざるを得なくなります。泥臭くて面倒な手作業をやる羽目になります。そうするしかないのです。

「たかがケーブル、何を針小棒大な」と思われる方もいらっしゃるでしょう。
あなたがこれまで経験した最良のケーブルがあなたの物差しです。でも、あなたの物差しと私の物差しは同じではありません。もし、私が自社のケーブルを使えない状況に置かれたら、私はすっぱりとオーディオを辞めます。

ケーブルは必要悪です。必要悪を逆手にとってイコライザー(音質補正器)として考えるデザイナーもいらっしゃるでしょう。

私の作るケーブルは、イコライザーとしては殆ど役に立ちません。ですから、私の作るケーブルをあなたのオーディオシステムに挿入して必ず良い結果が得られるとは限りません。ですが、ここまでの私の考えに共鳴していただける方には、ご試聴頂く価値はあると思います。

ケーブルの音質について

私は自社ケーブルの「音」について語りたくありません。それは必ず手前味噌になるからです。ですが、これを読んでいらっしゃる方々にとっては「そこ」が気になるところでしょう。ご参考までにIBEX AUDIOというドイツのオーディオディーラーの経営者、Michael Hannig氏の美しいインプレッションをご紹介しておきます。

"following an about two weeks auditioning with my EPHEMERA cable set I wish to share with you that I am extremely enthusiastic about these amazing cables.

First of all I am highly impressed by the extremely low mass of the cables and how they are designed: it is a completely different approach compared to everything I have seen and auditioned so far.

Very often cables are thick so people should believe they must be expensive … following a pure marketing approach.

Sternklang however follows an approach that reminds me of Japanese ZEN and minimalism … understanding how the elements live in the cable and travel from A to B and allow them to travel in maximum freedom and comfort. So they will arrive relaxed and in happiness at their destination.

The music reproduced using Sternklang cables touches my soul … the naturalism is unbelievable and such organic texture I never have had before … not even with cables that are much more expensive.

I really can say that my Sternklang cables are my most preferred cables I do have now.

Dear Koji: thank you very much for enriching my life!"....Michael Hannig

「2週間に渡るエフェメラ・ケーブルのオーディションを終えて、この素晴らしいケーブルに対する私の熱狂をあなたと分かち合いたい。

まず最初に、私はこのケーブルの極端に小さな質量に強い印象を受け、このケーブルがどうやってデザインされたのかと思いました。なぜなら、このケーブルは、私がこれまで見た、そしてオーディションしてきたものとは完全に異なるアプローチだったからです。

ピュア・オーディオのマーケティング手法に則ったケーブルはしばしば太くてゴツく、人々は「太くてゴツいケーブルは高価に違いない」と信じ込まされています。

しかしながら、Sternklangのケーブルは私に禅やミニマリズムを思い出させます。Sternklangは、ケーブルのなかにどのような音楽情報が生きているのかを理解していて、ケーブルのA地点からB地点まで、音楽情報が最大の自由と快適さで移動することを許しています。だから彼らは寛いで、幸福のなかで目的地に到着します。

Sternklangのケーブルを使用して再生される音楽は私の魂に触れます。その自然さは信じ難いほどで、こんな有機的な肌合いはかつて聞いたことがありません・・・もっと高額なケーブルもこのケーブルには及びません。

私は、私が所有するケーブルのなかでSternklangのケーブルが最も好きだと断言します。親愛なる幸治、私の人生を豊かにしてくれてありがとう!」Michael Hanning

私の敬愛する作曲家、カールハインツ・シュトックハウゼンは、「音楽は精神の乗り物である」と言いました。

移動の自由こそ精神の喜びです。オーディオデザイナーは、この「精神の宇宙船」が身体から出発し、どこまでも高みに昇ってゆけるように、その無限の空間に覆いを作ってはならないのです。

有限会社シュテルンクランク
代表取締役
寺村幸治
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